子どもの遊び場
気がつけば10月。今年も残すところ、あと3ヶ月です。
日没も早くなり、彼岸の中日から夕方の梵鐘を5時にあらためました。
一時続いた寒気も去り、日高にも穏やかな秋日和がやってきたようです。
少し前の話です。
ちょうど報恩講の前くらいでしょうか、いつも夕方の鐘をつきにくる小学生たちが、鐘を鳴らした後にマジメな顔つきでお寺の各所に手を会わせてから帰途につくのです。
翌日も様子を見ていると、海防艦、大成丸、親鸞聖人、本堂と順番に手を合わせて帰るのです。
どうも、小学校で「平和を考える集会」というのが開かれたようで、そこで昭和20年に厚賀沖で沈没した大成丸の話を聞いたそうです。
小学校の低学年ですから自分の思いをうまく言葉にできないようでした。
大成丸慰霊碑はともかく、他についてはその意味がわかっているわけではありません。
ただ、その子どもながらに「大切そうなもの」に手を合わしているようです。
(子ども同士の話を聞いていると、お墓の入り口にある仏様にも手を合わせていたようです!)
いつも境内で走り回って遊び、鐘を鳴らして帰る「子どもたちの遊び場」が、いろんなものをまつっていることに気づいたのでしょうか。
4月から毎日のように鐘をつきにくる子どもを見ていると、その成長に目を見張ります。
はじめは、ただガンガン鳴らしていた子も、「ありがとうございました」「さようなら」と言えるようになったりしています。
撞き方も上手になるし、力もついて鐘の音も大きくなります。
最近は、一時のブームが去ったようで、毎日2~3人が来ています。
日没も早くなり、彼岸の中日から夕方の梵鐘を5時にあらためました。
一時続いた寒気も去り、日高にも穏やかな秋日和がやってきたようです。
少し前の話です。
ちょうど報恩講の前くらいでしょうか、いつも夕方の鐘をつきにくる小学生たちが、鐘を鳴らした後にマジメな顔つきでお寺の各所に手を会わせてから帰途につくのです。
翌日も様子を見ていると、海防艦、大成丸、親鸞聖人、本堂と順番に手を合わせて帰るのです。
どうも、小学校で「平和を考える集会」というのが開かれたようで、そこで昭和20年に厚賀沖で沈没した大成丸の話を聞いたそうです。
小学校の低学年ですから自分の思いをうまく言葉にできないようでした。
大成丸慰霊碑はともかく、他についてはその意味がわかっているわけではありません。
ただ、その子どもながらに「大切そうなもの」に手を合わしているようです。
(子ども同士の話を聞いていると、お墓の入り口にある仏様にも手を合わせていたようです!)
いつも境内で走り回って遊び、鐘を鳴らして帰る「子どもたちの遊び場」が、いろんなものをまつっていることに気づいたのでしょうか。
4月から毎日のように鐘をつきにくる子どもを見ていると、その成長に目を見張ります。
はじめは、ただガンガン鳴らしていた子も、「ありがとうございました」「さようなら」と言えるようになったりしています。
撞き方も上手になるし、力もついて鐘の音も大きくなります。
最近は、一時のブームが去ったようで、毎日2~3人が来ています。